よしぶえ No.24 2000 WINTER

千年回廊

詩:滝本明 写真:細川和昭

雪化粧した太間地区

天の町には 一行の言葉の川が流れていて
夕暮れになると 岸辺の家々に明かりが灯る
一丁目のBusonさんの家では
西行さんとツラユキさんが旅と雲について話し込んでいたり

二丁目の機織りの音がふっと止む 深夜
向こう岸で姫を呼ぶ牽牛の声がした
空の川は水の歌垣
流れ流れて下の町に 言葉の枯れ葉を降らせている

獅子座の星がたくさん降った夜明け 秋が終わり
やがて雪の花が積もる2000年
雪の回廊に天の人たちが通り過ぎ 風の中
この世の物語りについて話す声がする

目次

淀川河川公園ニュース イベント案内 淀川歴史散歩 淀川河川公園と私

伊加賀地区

淀川下流域は、万一堤防が壊れると人命や資産などに甚大な被害をもたらします。
スーパー堤防は、計画より大きな洪水が起こっても壊れない堤防の高さの約30倍の幅をもつ幅の広い堤防です。
写真の「伊加賀地区」は、スーパー堤防上に緑と光あふれる新しい住宅地が建設され、合わせて、豊臣秀吉の時代に賑わった「京街道」の復元をめざして、松並木道を整備中です。

整備の進む伊加賀地区

淀川河川公園ニュース

第60回淀川の自然を楽しむ会 5mの葦をくぐりぬけ三川合流を探検

11月7日(日)、背割堤地区で「背割堤探検」をテーマに総勢100名が参加して、”淀川の自然を楽しむ会”が催されました。この会は、今回で発足して20年経過また60回記念ということで、キャンペーンタオルや淀川河川公園マップ等の他に「淀川の野草」のカラー手引書が参加者全員に配布されました。

背割堤地区は桂川・宇治川・木津川の三川が合流する地に位置し、優れた河川景観を保全育成する景観保全地区。午前10時30分、有馬忠雄先生の指導のもと参加者を子供2班・大人5班に編成し、それぞれ”なにがなんでも三川の合流点に立つ組””行き当たりばったり組””気楽に散策する組”など思い思いのコースを選んで、背割堤の探検に繰り出しました。なかでも”合流点に立つ組”は1.4kmの桜並木終点から、カナムグラやクズで覆いつくされた道なき道を踏み分け、また5mにも及ぶヨシの群生するブッシュをくぐり抜けて、やっとの思いで500m先の目的地にたどり着きました。

参加者一同、苦労した探検体験もあっという間の午後3時に終了。快晴の秋晴れを満喫し、日焼けしたみんなの顔は満足そのもので、背割堤を後にしました。

三川合流点に到達した子供達

くらしと土木の週間に 第10回淀川フェスティバル

11月21日(日)12時~4時、第10回淀川フェスティバルが枚方地区で開催されました。会場の大テント内ではラブ遊─淀川・風船マジック・土木クイズ大会等が、屋外ではアマゴの放流・土木クイズラリー・迷路・河川災害対策車や淀川河川情報の展示等が催され、多数の参加者で大賑わい。また午前中は同催しの一つとして水上バスによる毛馬閘門周辺の施設見学会も。この日、枚方地区では10km・15km・20kmの「みずウォーク′99」も同時に行われ、歩きながら水辺の風景を楽しみました。

サツキマスの放流

第3回大阪・淀川市民マラソン 参加2,799名、最高タイムは2時間30分56秒

公園を一周するスタート直後のランナー達

11月7日(日)、最高気温23度とやや汗ばむ陽気の中、第3回大阪・淀川市民マラソンが枚方地区で催されました。この大会は市民の手づくりによる都市型市民マラソンを目指し、また先導車等には電気自動車・天然ガス車を活用したエコ・マラソンをも実践するもの。コースは枚方地区をスタート・ゴールに、下流の淀川大堰を渡り十三大橋手前で折り返す、23の河川公園を走る42.195km。9時、スターター・宮本博司淀川工事事務所長の合図で、特別参加した女子トップランナー・谷川真理選手と共に2,799名がスタート。12時30分から男子・女子共1~10位のランナーが表彰されました。

●男子●
1位  2:30:56  今長浩一 (大阪府)
2位  2:37:27  徳留英祐 (大阪府)
3位  2:39:51  富沢集作 (大阪府)
4位  2:40:54  吉田福蔵 (兵庫県)
5位  2:41:27  花房幸司 (大阪府)
6位  2:45:25  津村有朋 (大阪府)
7位  2:47:15  湯浅英輝 (広島県)
8位  2:47:41  前島裕二 (大阪府)
9位  2:48:12  久米佳利 (大阪府)
10位  2:49:50  正木良一 (兵庫県)
●女子●
1位  3:12:44  田口宏美 (岡山県)
2位  3:14:00  田中久子 (大阪府)
3位  3:16:44  塩谷啓子 (兵庫県)
4位  3:19:16  カティラカルト (岡山県)
5位  3:25:28  油谷智佐子 (大阪府)
6位  3:27:33  上野明美 (岡山県)
7位  3:29:01  関野和子 (大阪府)
8位  3:31:47  久岡真弓 (岡山県)
9位  3:32:33  新堀真弓 (大阪府)
10位  3:34:40  伊藤直子 (兵庫県)

第26回秋季野球大会 枚方レッドサンが2度目の栄冠

11月23日(火)、第26回秋季野球大会決勝戦が枚方地区・淀川スタジアムで行われ、「枚方レッドサン」が「大鉄」を2対1でくだし2度目の優勝旗を手にしました。試合は1点を争う好ゲームになり、3回表に大鉄が1点を先取、対して枚方レッドサンは5回と7回に1点ずつを取り逆転。9回表に大鉄はノーアウトのランナーを出しましたがホームに帰せずゲームセット。9月に始まった参加160チームの熱戦も枚方レッドサンが頂点に立ち、大会の幕を閉じました。

淀川スタジアム初の胴上げ

’99日本の凧の会秋季大会 100畳の大凧秋空に舞う

11月7日(日)快晴、爽やかな川風が渡る太間地区で「日本の凧の会」が創立30周年を記念して全国凧上げ大会が行われました。北海道から鹿児島まで33都道府県・約500人が参加。郷土色豊かな凧や自慢の凧を持ち寄り技を競い合いました。

この日、凧上げにはやや風が弱いものの集まった人達は腕自慢だけあって、大小様々な凧を簡単にあげ青空の競演を楽しみました。中でも、大阪オリンピック招致をPRする大阪大凧(縦11m×横8m・畳50枚分)と滋賀県の無形民族資料に指定されている八日市大凧(縦横各13m・畳100枚分)のデモンストレーションは圧巻、大きな凧がふわりと舞い上がるたび一斉に大きな拍手。凧と一体になった河川公園の一日でした。

大阪大凧
八日市大凧

天皇陛下御在位10周年 枝垂れ梅を記念植樹

11月12日、天皇陛下御在位十周年記念植樹と同記念碑の除幕式が淀川河川公園・鳥飼サービスセンター前庭で行われました。当日は朝からあいにくの雨。鳥飼サービスセンター向かいの鳥飼小学校児童3名の他、建設省・摂津市・河川環境管理財団の関係者が出席して、枝振りの見事な枝垂れ梅(紅梅)が植樹されました。記念碑は木柱に天皇陛下御在位十周年記念植樹と墨書されたもの。

「土寄せ」をする鳥飼小学校の児童達

イベント案内

1月10日(月)

第23回「新春走ろうかい」─ひらかたハーフマラソン─
(枚方地区~外島地区)

2月6日(日)

第5回「淀川河川公園凧揚げ大会」(太間地区)

2月20日(日)

第22回「寝屋川ウインターフェスティバル」(太間地区)

2月20日(日)

第61回淀川自然教室「ヤナギを使って…」(伊加賀野草地区)

2月27日(日)

手作り凧揚げ大会(枚方地区)

3月~6月

春季野球大会(海老江地区外)

淀川歴史散歩―第10回―蕪村碑と毛馬周辺

記:滝本明

蕪村碑

 「芭蕉にかえれ」と説いた天明俳壇の革新者、南宋画家としても知られている与謝蕪村。春風や堤長うして家遠し…、淀川河口から10kmの左岸河川公園毛馬地区の堤防上に蕪村の句碑があります。ここは毛馬閘門の北側で、蕪村生誕の地として有名です。後に子規や朔太郎も近代性を認めたこの「郷愁の詩人」は、享保元年(1716)摂津東成郡毛馬村の豊かな農家(谷口姓)に生まれました。時代は八代将軍吉宗の復古的抑圧政治が始まる時でした。早くに父母と家を失い、20歳頃江戸に出て早野巴人(夜半亭宋阿)の内弟子として俳諧を学び、号を宰町から宰鳥と称しました。師の没後26歳の時、常陸結城・下総の知人を頼り、さらに芭蕉の跡を慕って奧羽地区を10年間放浪、俳諧と画技を練りました。この間に蕪村と改号。宝暦元年(1751)京に移り、次いで丹後与謝地方に4年を過ごし、42歳の時京に戻ってからの10年間は南宋画家として活動し、池大雅と並ぶ名声を得ました。明和八年(1768)離俗の師の夜半亭を継承。晩年まで画・俳諧の活動は止まず天明三年(1783)京で68歳の清貧の生涯を閉じました。冒頭の春風や…の句がある<春風馬堤曲>や<澱河歌>は61歳で故郷の毛馬を思いつくった作品群で、馬堤は毛馬堤、澱河は淀川のこと。蕪村は門人への手紙に「幼童之時、春色清和の日ニは、心友だちと、此堤ニのぼりて遊び候。水ニは上下の船アリ、堤ニは往来の客あり(中略)実は愚老懐旧のやるかたなきよりうめき出たる実情にて候」と述べており、故郷を出て再び帰ることのなかった詩人が幼い日に遊んだ当時の淀川が偲ばれます。句碑によれば、生まれた村は北方300mの新淀川本流内。毛馬地区へは大阪市バス毛馬町二丁目下車歩10分。

蕪村碑

毛馬の閘門と淀川大堰

明治18年(1885)の淀川大洪水は有史以来と言われ、大水害になりました。同29年から43年にかけて淀川の大改修が行われ、直流する新淀川が掘削されました。この際、毛馬で新淀川と分岐する旧淀川(大川)への水量調節と上下流の舟運の便のために建設されたのが毛馬の閘門と洗堰で、オランダ人技師ヨハネス・デレーケが設計。煉瓦造りと鉄扉構造で明治40~43年に竣工し閘門の一部は現地保存、付近には淀川改修紀功碑もあります。昭和47年に二百年に一度の大洪水に耐えられるよう大堰と閘門の工事が始まり同58年(1983)に完成。大堰は日本最大で径間55mのメインゲート4門、調節ゲート2門、両端に魚道も備えています。

旧毛馬閘門
淀川大堰

淀川河川公園と私

淀川で得た感動を子どもたちへ

玄関、ベランダ、そして自室の窓。何処を開けても淀川の雄姿が眼下に広がる。陽春のヒバリ、初夏のオオヨシキリのさえずり、梅雨の夜のカエルの合唱、秋の夜長の虫たちの演奏会、そして、冬の川面からはカモたちの呟きが川風とともに我が家に入ってくる。電気と水道の便を除けば、河川敷に暮らしているようなものだ。

淀川との本格的なつき合いは中学生になった頃からだから、ちょうど30年になる。もっとも、淀川の河畔に居を構えたのは16年前。結婚を機にした宿願の達成であった。

少々擽ったい言いかたではあるけれども、淀川の存在は私の人生にどれほど大きな影響を与えたか、そして今も与え続けているか。私はそのことを淀川に育まれた数々の生きものたちを抜きにしては語れない。

淀川は全国でも魚の種類の多さでは屈指の河川だ。図鑑の絵でしか知らなかった魚を、眼の当たりにしたときの何ものにも代えがたい感動。それを幾度となく体験した現場は大阪市内のワンドやタマリであった。電車、バスを乗り継ぐこと3回、当時の自宅からは1時間余りかかる場所であった。

そこには、40種を超える魚の中に今や風前の灯火、淀川のシンボルフィッシュ-イタセンパラもたくさんいた。姿を見かけることのなくなったアユモドキ。これもちょくちょく目にした。後にともに国の天然記念物に指定された魚だ。

捕った魚は苦労して持ち帰った。そして自宅の小さな水槽に「淀川」を再現した。やがて水槽は家の玄関を埋め尽くすまでになった。近所の人たちからは水族館と呼ばれた。そして、魚を求めてまた通った。とにかくよく通った。それほどまで私を虜にした淀川は、青少年の日々の原風景なのだ。

そして今、ワンドへは自転車で5分の距離だ。淀川で過ごす1時間の予定は、まず3時間。昼の帰宅予定ならば夕方と、淀川の自然の中で経つ時間は不思議なほど速い。妻は淀川へ出かけた私の帰宅予定時刻をまったく信用していない。淀川に行けば必ず何か発見がある。そう、ちょっぴり賢くなった気分に浸ることができるのだ。たとえようのない充実感、そして爽快感。

最近は淀川をフィールドに自然観察会がよく催され、私も時々その案内役として駆り出される。勤務先の中学校の科学クラブの活動でも子どもたちを淀川へと連れ出す。そのときいつも五感をフルに活用した観察を勧める。目的はたったひとつ。自分がかつて淀川で得た感動を子どもたちにも味わわせたい。ただ、それだけ。その中から一人でも多くの子どもたちに淀川の素晴らしさに気づいてほしいと願う。

しかし、近頃、私の淀川の魅力を語るトーンがやや下がりぎみだ。この二十数年、河川公園が整備され、かつてとは比較にならないほど多くの人々が淀川を訪れるようになった。川を知るためには、まずもって川に近づくことだ。人が近づかなくなった都市河川は巨大な水路と化してしまう。もはや「川」とは呼べない。そういった意味では確かに淀川は"すごい"川なのだ。ところが、一方、その陰で本来の淀川らしい自然環境がどんどん変化してきたのも事実だ。加えて、一部の心ない利用者が放置するゴミ、不法な耕作、外来生物の増加などが淀川を苦しめている。

淀川河川公園が「河川自然公園」と呼ぶにふさわしい豊かな自然環境に恵まれ、それを目当てにより多くの人々が足を運ぶような、日本、いや世界に誇れる河川公園として成長していくことを待ち望んでいる。

河合 典彦

城北ワンドでの筆者

ナンバー10

河合 典彦(かわい のりひこ)
昭和31年11月23日生まれ。大阪市立八阪中学校教諭。建設省河川環境保全モニター、淀川環境委員会委員、環境庁希少野生動植物種保存推進員を務めるほか、「淀川水系イタセンパラ研究会」のメンバーとして、淀川にすむ水生生物の調査・研究にたずさわる。

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