よしぶえ No.23 1999 AUTUMN

花の足跡

詩:滝本明 写真:細川和昭

夕刻の淀川は右岸から見る水面が美しい

宇宙(コスモス)という名の涼しい花が揺れる日
川の渚に一日立った
僕の言葉は水の音符を聞きたがっていた

飛ぶ鳥や虫 魚や草木という時間の矢印
僕と同じ日に生まれたすべての生きものたち
いつか終わる 人という存在の日めくりについて
風と光と雲の下で考えていた

どこまでも続く 夕暮れという一日の心の足跡
何という生存の夕暮れ 何という時間の渚
いつか僕が歩いた足跡の中に 小さな花が咲けばいい

目次

淀川河川公園ニュース イベント案内 淀川の野草 淀川歴史散歩 淀川河川公園と私

淀川には多くの橋が架かっています。橋は地理名とは別に、構造上、三角骨組みのトラス橋・アーチ橋・斜張橋・吊り橋などと表現したり、造られた材料で木橋・石橋・コンクリート橋・鉄橋と呼んだりします。電車が通る鉄道橋・車を通す道路橋・水道を通す水管橋・人が通行する歩道橋・いろいろな用途のものを同時に通す共同橋など、様々な用途が複合する橋が淀川に架かっています。河口5kmの河川公園海老江地区から最上流三川合流37km地点の背割堤地区まで合計21橋があり、それぞれのシルエットで見る人の目を楽しませてくれています。

多くの橋が連なる淀川の下流部

淀川河川公園ニュース

元阪神選手らが野球教室 枚方地区で淀川スタジアム、オープン

球技ファン待望の「淀川スタジアム」が、7月10日(土)枚方地区でオープン。午前11時からの開場式典は、始球式やゲストの元阪神球団選手の真弓明信・中西清起・伊藤文隆3氏が加わったくす玉割り、枚方・高槻両市の少年野球の子供達250名がいっせいに風船を青空に放つなど華やかな幕開けになりました。式典後の3氏による野球教室では、バッティング・投球・守備についての実技指導があり、元プロ選手の話に子供達は熱心に聞き入っていました。午後からは、スポーツキャスター・植草貞夫司会による3氏のトークショー。オープン記念親善試合として、淀川河川公園杯春季野球大会優勝チームの「大鉄」対「中央シャインズ」が熱戦を繰り広げました。同スタジアムは砂入り人工芝の多目的グランドで、利用の問い合わせは太間サービスセンター・0720-38-0888へ。

少年達にバッティング指導をする真弓氏

街を浸水から守る 淀川陸閘(りっこう)の点検訓練

5月4日(日)未明、国道2号が通る淀川大橋で防潮扉(淀川陸閘)の開閉点検訓練が行われました。淀川大橋は両岸の堤防より低く、ここからの浸水を防ぐため左岸の海老江地区下流側堤防に淀川陸閘が設置されています。訓練は深夜の午前1時から2時の間、大橋を通行止めにして手際よく進行しました。直前まで1週間近く降り続いた豪雨は、各地に大きな被害をもたらし、点検訓練は本番さながらの緊迫した雰囲気に包まれました。陸閘のゲートは、24M×2.5Mの巨大な鉄扉が細長い格納庫から立ち上がり180度回転して閉鎖するもので、見物に訪れた住民たちも固唾を飲んで見守っていました。

慎重に行われた開閉訓練

第59回 淀川の自然を楽しむ会

8月29日(日)、海老江地区で「水辺の生きもの」をテーマに73名が参加して、淀川の自然を楽しむ会が催されました。ハゼ・ドロメ・アシハラガニなどの採取、観察発表でのカワヒバリガイの不思議な生態の話など夏休みの最後の日曜日を楽しく過ごしました。なお、同会は20年目、次回11月7日で第60回の開催。この時の参加者には冊子「淀川の野草」(よしぶえ22夏号参照)が配布される予定です。

水位のさがった水辺を観察(後は淀川大橋)

わんど清掃に多数参加「LOVE-遊 淀川」淀川”わんど”クリーン大作戦

7月18日(日)、城北わんど地区で午前10時から約1時間、わんどとその周辺の清掃が行われました。当日は昨夜からの小雨が残る中多数の人達が参加。長い熊手や先に鈎をつけたロープでわんどの中のゴミを引き寄せるなどして、ゴミはすぐに小型トラック一杯にもなり参加者はびっくり。清掃後は、笑福亭三喬氏らを交えて身近な水辺植物・水生生物・野鳥のトークショーを楽しみました。

釣り人も飛び入り参加したワンド清掃

イベント案内

9月下旬~11月中旬

第26回淀川河川公園秋季野球大会(海老江地区他)

10月1日(金)~31日(日)

淀川河川公園マナーアップ強化月間

10月1日(金)~3日(日)

近畿都市緑化祭(兵庫県立舞子公園)

10月4日(月)

淀川河川公園女子ダブルステニス大会(鳥飼上地区)

10月23日(土)・24日(日)

秋の緑化祭/植木市(守口地区)

10月24日(日)

淀川河川公園パターゴルフ大会(仁和寺野草地区)

10月下旬

淀川河川公園ゲートボール大会(仁和寺野草地区)

11月7日(日)

第60回淀川の自然を楽しむ会(背割堤地区)

11月7日(日)

第3回大阪・淀川市民マラソン(枚方地区)

11月7日(日)

日本の凧全国凧あげ大会(太間地区)

12月11日(土)

淀川リレーマラソン(太間地区)

淀川の野草

文/有馬忠雄

クズ

「吉野葛(くず)」のあのクズである。山林で木々に巻き付いて樹木を枯らしているとばかり思っていたのに、最近は淀川の草むらをひとり占めせんばかりの生育のすごさである。「吉野葛」は根から取り出した澱粉(でんぷん)で、売るほど採ろうとしたら大変だが、しかし楽しい苦労を強いられることになるだろう。奈良県・大宇陀(おおうだ)の国栖(くず)に由来する命名という見解がある。

ゴキヅル

「ゴキ」はゴキブリの「ゴキ」に通ずる。つまり、蓋(ふた)を持った実が出来る変わり者である。水辺に生えるウリ科の1年草。蓋と実がある器つまり御器(ごき)が名前に使われているのだ。ゴキブリも御器?なぜ?考えて下さい。水辺の植物が少なくなっている中で、このゴキヅルは盛んに生育を続けている。蔓性(つるせい)であることが原因かも知れない。

イヌホウズキ

ホウズキというイメージよりもプチトマトを思わせるじゃないか、この草は。ナスやトマトの仲間だけれど、それらと違って有毒植物だから食べたりできない。ネパールを旅したとき、露店で確かにこの実を売っていた。汁を少し舐めてみたらほの甘かったんだが、やはり食べない方がいい。

アキノノゲシ

「ケシ」が付いているのに菊の仲間、これはノゲシの項でお馴染(なじ)み。花はノゲシのように厚ぼったくなく、淡い黄色が好ましい。結実すると真っ黒な実に落下傘(らっかさん)のような冠毛(かんもう)が映えて美しい。地方名にウサギノモチがある。ノゲシの地方名は何だっけ?葉を下の方からかき採ってはニワトリに与えたのが懐かしい。

淀川歴史散歩―第9回―城北わんどと菖蒲園(しょうぶえん)

記:滝本明

城北(しろきた)わんど[A]

城北わんどは、淀川が大阪市内に入った辺りの左岸、河川公園「城北河畔地区」にあります。河口から約12km地点付近に隣接した大小様々なたまりを形成し、淀川特有の自然を代表するひとつとして「日本の自然百選」になっています。わんどとは、川の湾入部のことで漢字で当てれば湾処と書きます。明治18年(1885)6月の淀川大洪水は、左岸決壊、31橋流出、死者・被害家屋も多大で、兵隊出動もあった大水害になりました。その後、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケ指導のもとに淀川改修工事が始まりました。その頃大きく湾曲していた水路を北へ移してほぼ真っすぐにし、水の流れを抑えるため、両岸から直角に数多くの水バネを突き出しました。これは、「粗朶水制(そだすいせい)」という技術で、木の小枝や下草を編んだものを何重にも積み重ね大きな石を載せて(粗朶沈床工(そだちんしょうこう))、川の底に沈めて作りました。これで水の流れは木の小枝の間を通ることができ穏やかになりました。やがてまわりに土砂が溜まり、水辺を好むヨシやマコモなどの植物が茂り、現在のわんどの原形が誕生しました。水制工事は昭和20年代前半まで続き、長い年月が水辺の生き物たちに絶好の生活環境を作ったといえます。石垣や砂でこした良質の水が入ってくるわんどには、タナゴの仲間で二枚貝に産卵する天然記念物のイタセンパラなどが棲み、淀川で通常見かけるハス、フナ、ヨシノボリなど40種類の魚のほとんどがここで生まれ育っています。交通は大阪市バス城北公園前下車。公園を抜け緩(かん)斜面から街と淀川を一体化するスーパー堤防上に上がると、北摂や六甲の山並みを遠望しながら、眼下のわんど群風景に出会います。

ワンド(左)と本流(右)

城北公園と菖蒲園(しょうぶえん)[B]

昭和9年(1934)に開園した広さ約10.8haの城北公園は、大池を巡る桜並木、菖蒲の名所として人々に親しまれています。昔の淀川はこの付近で大きく南に湾曲していました。明治の淀川大改修で流れは北へ移され、右岸の川原が堤の外に取り残されました。その川跡を利用してつくられたのが現在淀川左岸にある同公園です。かつての水たまりは渡り鳥が来る池に生まれ変わりました。菖蒲園は同公園内にあり、昭和39年(1964)開園。関西で初めてできた回遊式花菖蒲園で、早咲きの江戸系、伊勢系、遅咲きの肥後系など約250品種1万2千株が花開き、五月下旬から六月上旬には大勢の人で賑わいます。平成9年(1997)に展示場も完成。なお、堤防斜面にあった千人塚と平和地蔵は、堤防上の広場に移されています。

城北公園しょうぶ園

淀川河川公園と私

公園の歴史と共に歩んだ私の軟式野球人生

淀川の河川敷にスポーツ広場を造ろうという運動が始まったのは、昭和50年前後だったと思います。当時、私の住んでいる大阪市福島区にはスポーツをする場所が少なく、早朝まだ暗い頃から野球をする場所の確保に苦労しました。

そんな状況の中、広場を造るために福島区の僅か32チームが中心となって行った近畿地方建設局公園課への働きかけが実を結び、淀川の河川敷・海老江付近に土の搬入をお願いし、全員でスコップや鍬などを持ち寄り整地作業などに汗を流しました。やがてグラウンドが完成。その運営のための協議会を発足したところ、福島区内外から100チーム近い参加の申し込みがあり、他の地域でもスポーツの場が少ないのは同様だと痛感しました。休日には、朝から暗くなるまで、より広い地域の人達と一緒に野球大会や時には大運動会などを催し、スポーツする喜びを分かち合い余暇を楽しんで頂きました。そんな中、若い人達とのふれ合いを特に大切にし、スポーツを楽しみながら自然に体力作りをしたり、また少年野球の指導にも顔を出すなどして、私なりに充実した何年間かを過ごしました。

その頃の河川敷のグラウンドにはバックネットなどもなく、もう少し設備の整ったものにできないかという意見が多くなり、協議会参加チームが中心となり再び運動を始めました。私達、スポーツ愛好者を最初から支援して下さった方々の助言や指導を仰ぎ、各方面の人達の多数の署名を携えて国会にお願いに行きました。が、淀川は国有地一級河川のため、福島区だけを対象には考えられないので淀川全域を対象に検討したいとの返事でした。その後、防災・自然保護(野鳥、野草等)・スポーツ等各分野の専門の方々からなる委員会が設けられ、約1年半の検討を経て、淀川全域にわたる河川公園の青写真が完成しました。淀川河川公園は着工後も時代の波を取り入れながら多種多様な施設が整備され、今日に至っています。

河川公園の管理は(財)河川環境管理財団に移り、協議会チームは同財団が河川公園で開催する春と秋の「淀川河川公園野球大会」に参加することになりました。私はチームの監督として出場するかたわら、大会運営委員会のメンバーとしても重責を担い、より良い大会になるように頑張ってきました。現在、この大会は社会人軟式野球大会としては、全国一大きな大会に育っています。中学時代に良き師とめぐり会い、始めた野球。いつの時代も少年の夢は甲子園。その夢は果たせませんでしたが、代わりにこの大きな大会で春3回・秋2回優勝の幸運に恵まれ、東京ドーム2回、西武ドーム1回の東西決戦の出場が叶いました。また、運営委員会の審判として東京ドームでの主審も務めることができ、私の野球馬鹿人生も思い残す事はありません。そして、淀川河川公園の歩みと共に過ごした長い年月の中で、沢山の人とめぐり会い、多くの友人を得たことは、私の人生の中でかけがえのない大きな財産になっています。

3年前から、淀川河川公園管理者として野球大会の運営委員とは違った立場から、年々増加する施設利用者の皆さんに、余暇を公園で十二分に楽しんで頂けるよう努力しています。日々公園を巡回して感じることは、犬の糞の後始末をしない飼い主、禁止されているゴルフの練習をする人などなど公の場を自分のものと勘違いしている人がいて、理解に苦しむことが多々あります。公の場で人に迷惑を掛けないためのルールが守れない人が多いというわけです。

マナーが良くなり"禁止の看板"が1日も早くなくなることを・・・。

渡辺 徳男

海老江地区を巡視中の筆者

ナンバー9

渡辺 徳男(わたなべ とくお)
昭和10年3月21日大分県生まれ。昭和38年に上阪。同40年軟式野球チーム結成。
淀川河川公園野球大会運営委員会会長を経て現在顧問。趣味はスポーツ。現在、(財)河川環境管理財団に勤務し、公園管理に従事。

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