よしぶえ No.25 2000 SPRING

はる

詩:滝本明 写真:細川和昭

背割堤地区は花見の人気スポット

堤に咲いた 桜の下を通り過ぎた
微かな死の匂いと その存在に残る時間の色香の下を

ひとひらの心の形を開かせる力 花びらに至った水の旅路と
その遥かな酒の記憶に揺れる生の時間の下を

今日僕は 見知らぬ岸辺の旅人の顔で桜の下を通り過ぎる
空渡るおぼろな鬼の形の雲のように

僕らの心は散り散りに 楽しくもあり心細くもあり
まだ言葉をかかえた存在のまま咲いている

君は自転車で なぜか急いで明日の用に向かい
散る花と風のトンネルを 笑いながら通り抜けて行く

目次

淀川河川公園ニュース イベント案内 淀川の野草 淀川歴史散歩 淀川河川公園と私

守口フィットネスリゾート

守口フィットネスリゾートは、淀川河川公園の案内や利用申し込み窓口のある守口サービスセンターと、夏はプール・冬はアイススケートのスポーツ施設とがあり多くの人達が訪れます。

昨年の春から始まった守口フィットネスリゾートの”前庭”改修工事と”やすらぎの間”の新設工事が秋に完成。前庭は枝振りの見事なケヤキをそのまま残し、イタセンパラの陶板を組み込んだ舗装に張り替え、2箇所に藤棚とベンチを設置。やすらぎの間はゆったりした空間に座り心地の良い椅子が配置され、片側はガラス張りで前庭と一体になり、訪れる人達に気持ちの良いリラックスできる休息の場となっています。

前庭とやすらぎの間(奧正面)

淀川河川公園ニュース

第5回淀川河川公園リレーマラソン大会2連覇「あいな工房倶楽部」

平成11年12月11日(土)、第5回淀川河川公園リレーマラソンが太間地区で催されました。42.195キロを職場の仲間や家族チーム(4~10人)がタスキをつないで競争するもので、今回参加チームは135。午前11時号砲とともに、とりどりのタスキをつけた各チームのランナーが一斉に同地区特設コースを走り出しました。優勝したのは「あいな工房倶楽部(メンバー6人)」で、2位チームに約10分の差をつけ昨年の記録を上回る大会2連覇を遂げました。

1位  2:16:48  あいな工房倶楽部(兵庫)
2位  2:26:46  アイモ(京都)
3位  2:45:11  FRUN赤い急流(大阪)
4位  2:46:01  南港RCマスターズ(大阪)
5位  2:27:56  交野養護ランナーズ(大阪)
6位  2:48:38  ボルテージ・バリア(大阪)
リレーマラソンのスタート
同時ゴールもリレーマラソンの楽しさ

第61回 淀川の自然を楽しむ会

2月20日(日)、伊加賀野草地区で淀川の自然を楽しむ会が催されました。今回のテーマは「ヤナギを使って」。参加者は通常の3分の1ほど大人ばかり30余名でした。昨夜からの雨も会が始まる頃には上がり、まず、水辺のヤナギの林の中で木の切り倒し方の指導を受け、直径15~30cmの木を数本切り、輪切りで年輪調べ、縦切りでカミキリムシの幼虫探しをしました。幼虫は体長4~5cmで、木の中心に沿って1mを超える巣穴を掘っていました。また、コースター作り・輪投げの輪作りの他、籠作り用のクズのツタ集め、生け花用のカラスウリの赤い実採りの人もいるなど遊びも加えた楽しい一日でした。

木を輪切りにする参加者達

第5回淀川河川公園凧揚げ大会 順延の凧揚げ大会、多数参加

強い雨のため順延された第5回淀川河川公園凧揚げ大会が、2月13日(日)、太間地区で行われました。この日は曇りがちでやや風が弱く、子供たちに手を貸す「日本の凧の会」のメンバーも大忙し。恒例の大凧揚げ(”淀川の凧” 約3×4.6m) では、風をうまく捉えた凧が舞い上がり、今までで一番よく揚がったと大きな拍手がわきました。午後から60人がチャレンジした手作り凧や、プレゼント和凧の凧揚げコンクールが行われ、参加者に多数の商品が授与されました。この日は鵜殿のヨシ原焼きがあり、太間地区からもその煙が遠望できました。

高く揚がった”淀川の凧”

第23回新春走ろうかい 3340人淀川を走る

成人の日の1月10日(月)恒例の新春走ろうかいが枚方地区で催されました。今回はミレニアム記念大会となり、「ひらかたハーフマラソン」の愛称のもとに全国各地から3340人のランナーが参加しました。コースは枚方~八雲地区間の淀川左岸道路で17種目を実施。今回は高校生の部を新設しIDチップでタイム計測するシステムも導入されました。雨上がりの薄日が差す中、各選手の快走に沿道の声援が飛んでいました。

●男子ハーフマラソン●
1位  伊坂滋(交野市)2年連続
2位  吉田福蔵(兵庫県)
3位  下水流寛之(枚方市)
●女子ハーフマラソン●
1位  山本喜代子(枚方市)
2位  沢村佐登美(枚方市)
3位  毛呂美佐(河内長野市)
●男子10m●
1位  土井健太郎(兵庫県)
2位  三杉和男(奈良県)
3位  尾坂圭一(交野市)
●高校生男子10m●
1位  難波祐樹(京都府)
2位  宮本脩平(京都府)
3位  田中健雄(京都府)

イベント案内

4月23日(日)

第23回守口市こどもまつり(八雲地区)

5月上旬

第1回ミックスダブルステニス大会(外島地区)

5月下旬

第22回河川環境管理財団杯争奪 サンスポ野球大会決勝戦
(枚方地区淀川スタジアム予定)

5月27日(土)~28日(日)

春の植木市(守口地区)

6月上旬

第3回ジュニアシングルテニス大会(外島地区)

淀川河川公園テニス大会案内

【主  催】
 淀川河川公園テニス大会実行委員会

【後  援】
淀川河川公園連絡協議会

【運  営】
ヤマサキテニス企画

【申込受付】
 開催日の2ヶ月前から

【申込・問合せ】
 淀川河川公園テニス大会事務局
 (ニッセイフレンドテニスクラブ)
 0727-66-1172

【日程】

種目 開催日 予備日 会場 参加費
小学生
シングルス
6月18日(日) 6月25日(日) 鳥飼上
(摂津市)
1000円
中学生
シングルス
7月9日(日) 7月16日(日) 赤川
(都島区)
1000円
男子
ダブルス
9月3日(日) 9月10日(日) 赤川
(都島区)
4000円
女子
ダブルス
10月2日(月) 10月3日(火) 鳥飼上
(摂津市)
4000円
小学生
シングルス
10月15日(日) 10月22日(日) 外島
(守口市)
4000円

淀川の野草

文/有馬忠雄

ウシハコベ

草むらを覆(おお)うようにして伸びる大型のハコベ。ハコベがよく茂っているなぁと思うのだが、「それにしてはよく育ったなぁ。」とよく見ると葉の先が尖(とが)っていて、やはりハコベとは違うみたい。何度も見直しながら気になるハコベだ。ハコベとは雄蕊(おしべ)の先が5つに分かれているところが違う。ヒヨコさんはどちらも区別しないでご馳走(ちそう)さん。だから、ヒヨコグサと呼んでもいいだろう。

ギシギシ

誠に変わった和名だが、古い書物に出てきていることから昔からよく知られていて、薬草として使われていたことが想像される。春の、まだ柔らかい葉は味噌和(みそあ)えなどで食べられる。特に、薄い膜で覆(おお)われた新芽はぬめりもあって、野草料理に使えば逸品(いっぴん)である。兎に与えて、凄い下痢をされてしまったことを思い出す。

キキョウソウ

大きさはキキョウよりも小さいけれど、ほんとにキキョウを思わせる可愛い紫色の花。明治時代中頃に北米から輸入されて栽培されていたらしい。現在、それがあちこちの野原で生活している。欧米では「ビーナスの姿見」という名で呼ばれているらしいが、果実の壁に楕円形(だえんけい)の穴が開いて、壁が蓋(ふた)になって穴をふさぐその姿が「姿見」を連想させるものらしい。野にあって、キュートな華を添えてくれる。

ヘラオオバコ

ヨーロッパからやってきた外来種。葉が長いへらの形をしているところからの命名だろう。堤防域に多いが、50cmを越す長い花穂(かすい)を出して、まるで鉢巻きでもしているような具合に雄蕊(おしべ)が穂を取り巻いている様が可愛く、面白い。次の日にはこの鉢巻はすこし上へ移動する。つまり上の花が咲いたと言うわけだ。雌蕊(めしべ)は、雄蕊を出している花より先に咲いて、雌蕊と雄蕊が成熟時期をずらすことで同じ花の中での受粉を避けているのだ。

淀川歴史散歩―第11回―柴島浄水場とその周辺

記:滝本明

柴島(くにじま)浄水場

明治の初めまで大阪の庶民の生活用水は、淀川の水を汲んで一荷いくらと売り歩いていた「水屋」や井戸水によって賄(まかな)われていました。明治18年の大洪水、翌年のコレラ大流行、明治23年の「新町焼け(西区)」の大火で水道を望む声が高まり、明治28年(1895)に日本で4番目の水源地(浄水場)が桜の宮にできました(大正4年廃止)。その後人口増加で給水能力不足になったため明治41年~大正3年(1914)の6年をかけて東洋一の柴島浄水場(43万m3)を建設。さらに続く人口増加で昭和32年・43年に庭窪(にわくぼ)・豊野両浄水場(守口・寝屋川市)がつくられ、現在は3つの浄水場から一日243万m3の水(明治の約4倍)を約260万人に供給しています。
阪急千里線柴島駅・京都線南方駅・地下鉄御堂筋線西中島南方駅徒歩15分。

水道記念館

長柄橋北詰め市バス停から淀川下流に向けて10分程歩くと、右手に柴島浄水場の正門と赤煉瓦作りのクラシックな階段つきの水道記念館があります。同館は明治の建築家宗兵蔵(そうへいぞう)の設計で、大正3年(1914)に送水ポンプ場として建てられ、平成7年(1995)に市民に親しまれる「水のミュージアム」として生まれ変わったものです。館内は大きく2つに分かれ、自然と生物たちの右ゾーンと、水道の歴史の左ゾーン、回廊、図書コーナーなど計36のコーナーと飼育研究棟(110種・3500個体飼育研究)で構成。天然記念物のアユモドキやビワコオオナマズなど琵琶湖淀川水系の淡水魚78種1700尾がパノラマ水槽などで観察できます。水は淀川の水をそのまま利用、説明も魚の採取者が行っています。
入館無料・月休館 TEL06-6324-3191~2

水道記念館内部の淡水魚コーナー
有形文化財の国の指定を受けた水道記念館

柴島神社

阪急電車千里線「柴島駅」から左手の浄水場に沿って北へ10分程歩くと、右手の柴島三丁目に柴島神社があります。貞永(じょうえい)元年(1232)9月27日に創建で祭神は八幡大神・天照皇大神・春日大神。社伝では、人皇(じんこう)(神武天皇以後の天皇のこと)87代四条天皇の御宇(ぎょう)(君子が天下を治めている期間)、近国一円が1カ月余りの大雨で大洪水になり、他より3mばかり高地だったこの地に村人たちは避難しました。そこへ柴に乗った小社が流れ着き、その中に前記の三神が祭られていて、その夜人々の夢枕に三神が現れ、この里を守護すると言われこれを祭った謂(いわ)れがあります。柴島(くにじま)地名の起こりは「柴の字を国と読む」「古く難波八十島の一つで茎(くき)島が訛(なま)った」「昔は柴薪にするクヌギが多い島で訛った」など古代のロマンを感じさせる諸説があります。

柴島神社

淀川河川公園と私

淀川と共に育った環境を21世紀の子供達へ

人は一人では生きてゆけません。人から人へと知識や文化を伝え長い年月を経て、伝統は継承されているのです。そこに、歴史があります。

私は紀貫之の土佐日記にもでてくる鵜殿(現高槻市道鵜町)で誕生、母なる川─淀川の水を産湯に使い、鵜殿のヨシ原の大自然と共に還暦を迎えました。

鵜殿のヨシ原は淀川河口より上流約30キロメートル地点にあり、面積約60ヘクタールの河川敷に広がっています。ここには、女ヨシ(セイタカヨシ)・男ヨシ(オギ)と地元の先人が呼ぶ大型湿地植物が広がり、四季を通し淀川河川敷の他では見られない素晴らしい景観に目を楽しませてくれます。

子供の頃、学校が終わると道才浜(三十石舟の港)から生活用水の水汲みが日課であった。この仕事が終わると仲間達の集合場所・道才の渡船場(ヨシで造った渡船客待合所)をめざし、ヨシ原内にある渡船場への道500メートルを全力疾走した。船頭は地元の人で客待ちの間にワンド・タマリ・ヨシ原に生息する魚貝類・野鳥・小動物や雲の流れを見て天気予報の話など自然を大切に生きよと教えてもらったものだ。遊び場のヨシ原内には陣地や迷路を作り子供だけの遊びを生み出した。陣地には中・大学生も来て勉強や宿題もよく見てくれた。また、女ヨシに木綿針とタコ糸を使ってウナギの穴釣の仕掛けも伝授、淀川本流のチンショー(沈床=大きな石積み)で大漁に歓声を上げた。

正月三ヶ日が終わると鵜殿のヨシ刈り取りが始まり、60ヘクタール全てを刈り取った。子供達も応援、束ねたヨシを堤防まで搬出した。ヨシは入札。ヨシズ・建築材料・燃料・管楽器の材料として加工販売、地元の生活の糧になった。2月の終わりには鵜殿のヨシ原焼きが始まる。立ち枯れヨシはなく落葉だけで、自由に点火出来た。当時のヨシ原には野生動物の隠れ家(穴)が沢山あって、煙で飛び出したタヌキ・キツネ・イタチが焼野原を逃げまどった。追っかけて火灰の中に転倒、大火傷。母が百足の油「生きた百足を油(ナタネ)漬けにした自家製特効薬」を塗ってくれ、今思うと命の尊さや共存共生の精神をも教えてくれた様な気がする。

40年程前に鵜殿のヨシ原をゴルフ場に、と3回話があった。最近では平成2年にもあった。が、私達の先人は代々"ヨシ原を大切に生きよ"と語り継がれ、地元の生活と関わりが深く見送られた。近年、淀川上流部ではダムが建設の他、改修や流量調節が行われヨシ原の冠水が無くなり、陸地植物が急速に勢力を強めている。今年も春の風物詩として定着しているヨシ原焼きが訪れた。地元でヨシの保全育成のため実施について入念な準備をするが、昨今のヨシ原焼きは雑草やヨシの立ち枯れが多く点火すると火の勢いが強力で、風向きにより近隣市町村から降灰による苦情の処理、飛び火による火災警備体制等地元住民の理解を得るのに苦労している。また、21世紀前半に鵜殿のヨシ原を挟み東に第二名神高速道路、西に牧野高槻線が予定され自然景観も大変貌する。鵜殿のヨシ原は今、保護保全のためだけではなく、自然景観・文化・歴史などの面からも国や府の総合的な支援が必要だ。

淀川本流にはチンショーをウナギの寝床・ワンドを小魚の住家・タマリを野鳥や小動物のエサ場・浜を釣場・渡舟場道をふみわけ道・排水路を魚の生息出来る親水川にと私が子供の頃育った環境や歴史を子孫に語り伝え、鵜殿発の「夢」の実現に向け楽しく弟2の人生を送っています。

平城 守

2月13日、ヨシ原焼きの日の筆者

ナンバー11

平城 守(ひらぎ まもる) 昭和8年10月5日生まれ。
現在、道鵜町自治会長・鵜殿実行組合長・高槻市農業委員会常任委員・大阪府北部農業共済組合推進委員・神安土地改良区、高槻市東部土地改良区理事の他、役職多数。

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