よしぶえ No.34 2002 SUMMER

風とピクニック

詩:滝本明 写真:細川和昭

水辺の野草公園

あそこへ行こう
あの桜が咲いている堤へ行こう 花のトンネルへ
僕の残してきた小さな嘘 数々の作り話 偽の言葉
恥じ色に染まる人生の正体を君と確かめに行こう

あそこに行こう
夢の野に根付くもの 草のなびき 風の行方
ホトケノザ ムラサキカタバミ オドリコソウ
僕の乾きと怒りの正体 君の優しさと飢えが散らばっている所

あそこへ行こう 春だから
水の源 流れの始まり 全ての間違いの劇の分岐点
心の形が指さすところ 遠くに聞こえる記憶のような場所
それら千夜一夜の音楽と 最初の話を摘みとりに行こう

目次

淀川河川公園ニュース イベント案内 淀川の野草 親子3人「淀川源流」旅日記 淀川河川公園と私

淀川河川公園ニュース

第34回守口こどもまつり

4月28日(日)、淀川河川公園鳥飼大橋下流域で「作ろう、遊ぼう、でっかくチャレンジ」をテーマに子供まつりが催されました。ゴールデンウィークの魁でもある当日は、風薫る絶好の行楽日和となり、たくさんの家族連れで賑わいました。4つの広場に設けられた遊びコーナーは25種類。どのコーナーにも目を輝かせた子供たちが遊びます。なかでも3mの高さに張られた長さ30mのモンキーブリッジには20~30人の子供たちの順番待ちの長蛇の列。大人でも尻込みするような高さをものともせず渡ろうとするチャレンジする姿には感動しました。最後は「帰り際、来たときよりもきれいだね」を合言葉にクリーンクリーン大作戦を展開、全員で会場の清掃を行い、14:30にまつりは終了しました。

植木市(都市緑化祭)

5月18日(土)・19日(日)の2日間、守口地区けやき広場で植木市が催されました。春と秋に開かれるこの植木市は、都市緑化祭の一環として実施されるもので、出展品は市価の半額程で提供されるとあって、二千人もの人手で賑わいます。さほど広くない会場は、アジサイ、サルビア、マリーゴールドなどの季節の花々が並べられ、はなやいだ空間を作ります。両日とも開かれる「ランの育て方」や「寄植体験」教室にはガーデニングに熱心な愛好者たちが多数集うなど地域の人達との交流が計られています。

イベント案内

7月1日(月)~31日(水)

河川愛護月間

7月14日(日)予備日7月21日(日)

小学生シングルステニス大会(外島地区)

7月20日(土)

“わんど”クリーン作戦(城北ワンド)

8月下旬(予定)

第68回淀川の自然を楽しむ会(場所未定)

9月1日(日)予備日9月8日(日)

男子ダブルステニス大会(赤川地区)

9月30日(月)予備日10月1日(火)

女子ダブルステニス大会(外島地区)

9月下旬~11月上旬

第29回淀川河川公園秋季野球大会(海老江地区他)

淀川の野草

季節を告げる素敵な草花を探してみよう!文/有馬忠雄

ヤブマオ

堤防には仲間の草であるカラムシ、高水敷きはヤブマオが生育。なんとなく、そんな関係になっているように思われる。カラムシは別名をマオ(真麻)と呼び、茎の皮から繊維を採る。で、マオに似た草だからヤブマオと言うわけだ。高水敷きはヨシやオギなどが生えて薮状態。そうか、だからヤブマオなんだ。

背割堤地区

メハジキ

直立した四角形の茎、深く切れ込んだ葉、その葉の付け根に赤紫色の筒型の花。こんなのが堤防の肩や下部で何本も突っ立っているのを見るとびっくりする。言うなれば、不細工きわまる野の花だ。しかし、子供達は茎を切り取って上瞼と下瞼の間に挟んで瞼を開けっ放しにして遊ぶ。茎を短く切って瞼の間に挟み、瞼を閉じる勢いで茎をはじき飛ばす、そんな遊びからメハジキの名が付いたという。やってみたが痛くてとても…。

背割堤地区

ブタクサ

何とも可哀想な名前と言うと、豚に叱られそうだが、北米での呼び名をそのまま直訳したわけだ。ということは、北米から渡来した草ということを物語る。花粉症の原因として有名だが、淀川の高水敷きで大繁盛させている現代人の生活の在り方に対する警告と考えられないものだろうか。写真中央の大きな花穂は雄花で、周囲の小さな花は雌花だ。

西中島地区

親子3人「淀川源流」旅日記~桂川その6~

1998年に新設された日吉ダムが成すダム湖「天若湖(あまわかこ)」を中心に、京北町の宇津峡までドライブ。世間はゴールデンウィーク真っ只中で、どこへ行っても人・人・人なのに、この地域はゆったり。水と緑の絶景に囲まれて、野鳥との出会いを満喫しました。

まずは近畿でも最大級の水瓶、日吉ダム【A】へ。その姿は巨大な要塞のようで、ゲートの前にある、これまた巨大な円形橋はどことなく近未来的なイメージを感じさせる。とくにインフォギャラリーが面白い。ダム堤体内部を見学できる日本初の設備で、水や森を五感で体験できる。また、ビジターセンターもおすすめ。展示やビデオの他に、シアターまであって驚いた。1階には体重と体内水分量を同時に計る機械もある。数値は内緒だが、瞬時にデジタル表示された。話はそれるが、このダムによってできた天若湖は甲子園球場の約70倍とか。右を見ても左を見ても、水と緑。水面に陽ざしがキラキラと反射して目に嬉しい。

ライトアップされた夕暮れの日吉ダム

ダムから5分ほど車を走らせると、府民の森【B】がでんと構える。とにもかくにも、以前から興味のあった郷土資料館へ。ここにはダム建築の際に移築復原した、かやぶき民家が佇む。土間には今では珍しいおくどさんが。その周りをウロウロするおかっぱ頭の娘は、なんだか座敷童子のように見える。靴を脱いで室内に上がると、部屋の真ん中にいろりがあった。娘は不思議そうに眺め、炭ばさみで灰を突いて遊ぶ。私はいろり端に座ってひと休み。ヒンヤリとした風が通りすぎて気持ちいい。その後、ブラブラと広大な芝生広場へ。すると、そこかしこに何かのフンが! 森の資料館に入ってわかったのだが、朝夕に鹿が草を食べに来るらしい。

天若湖の東端まで行くと、世木ダム【C】にぶちあたる。付近ではブラックバス狙いの釣り人がボートを出してチラホラ。新緑の中、のんびりとフィッシングを楽しんでいるようだ。在来種保護のためにリリースしないことを願いながら通り過ぎる。そのまま上流を目指し、キャンプ客で賑わう宇津峡公園【D】へ。そこで、低空を鋭角的に飛ぶカワセミを発見。青く光る背中はまさに生きた宝石だ。ちなみにカワセミは漢字で書くと、翡翠(ヒスイ)となる。読んで字のごとく、なるほどと思わせる美しさである。近くにはゴイサギやイカルの姿も。川辺には多くの人が遊んでいるにもかかわらず、鳥たちは悠然としている。

宇津峡から湖の北側の道を折り返して、日吉ダムの方向へ。結構スリリングな山道を進むと、シャガが咲き乱れる沢があった。水遊びにもってこいの穴場である。娘が車に酔いだしたので、そこで、ちょっと休憩。ひと息入れて、最期の目的地であるスプリングスひよし【E】のひよし温泉へ。本格的な天然温泉で、露天風呂もある。湯は薄い赤茶色をしており、熱くもなく冷たくもなく、ちょうどいい温度。ウグイスの声をBGMに、1日の疲れが少しずつ溶けていく。そして、風呂上がりにビールを1杯。ドライバーには悪いが、気持ちよくうたた寝しながら大阪へ戻ったのである。

*取材/5月3日(土)
*小村家・プロフィール/父の一也はプランナー兼イラストレーター。母の郁慧はコピーライター。そして一人娘の東洋。親子3人、仲良く見聞しています。

淀川河川公園と私

子供の頃、豊かな心を育んでくれた「川」。

関西の土地に来て早くも18年の歳月が流れました。私の生まれ育った町は、愛知県の豊橋市の中心から約4kmほど南へ行った、静岡県に近い小さな町です。付近には戦時中は軍の様々な施設があったらしいのですが、戦後は農地として開拓するため 、開拓者が入り、豊かな自然と温暖な気候から農業が盛んになった地域です。しかし、そこには農業用水を手に入れる川がなかったため、豊橋の北を流れる豊川から用水路によって水を引き農業を営んできました。

幼い頃の微かな記憶の中に、牛車に乗せられ広大な乾燥した赤土の畑の中を、ゆっくりと引かれていた思い出があります。子供の頃、やんちゃで男の子の遊びばかりしていた私の川の思い出といえば、近くを流れる小さな川でビショビショになりながらの水遊びや魚取りに夢中になっていたことです。

また、実家からさらに2kmほど南へ行った所には母の実家があり、近くを流れる梅田川では雑草が生い茂る堤防から、ダンボールをお尻の下に敷いて滑り降りる遊びに夢中になったものでした。今でもその川は姿を変えず帰省した私を迎えてくれ、そんな思い出をつい昨日のことのように蘇らせてくれます。楽しく心豊かにしてくれる思い出は、大切な心の支えとなるものです。

また、瞼を閉じると、亡くなった祖父母が堤防に腰掛け、釣りを楽しんでいた姿が浮かびます。厳格だった祖父の楽しみは、休日に梅田川でハゼ釣りをすることでした。麦わら帽子に手ぬぐいを取り付け、日除けを作り、祖父母は二人仲良く寄り添い、竹の釣り竿を垂らしていました。一日の中でも時間帯によって移り変わる川の色、そして季節ごとに豊かな自然の彩りを見せてくれる川の姿は、心休まる時間を過ごすことができるすばらしい景色です。

愛知県には、豊かな川が多くありますが、私は余り大きな川に触れることなく幼少時代を過ごしてきました。そんな私が関西の地へ来て、仕事を通じて雄大な川に触れる機会が増え、これまでの認識にあった「川」とは大きく違う、川の存在を知りました。

阪神電車を利用し大阪へ出ていた私にとって、淀川は河口近くのコンクリートに両岸を固められ、人々の生活から切り離された川の姿でした。しかし、淀川上流に行き、その自然の豊かさに驚いたものです。また淀川が先人達の大変な苦労によって今の姿があること。そして、流域や関西に暮らす人々の生活にとって、どれほど大切な川であるかを知りました。河川公園では、人々が集い、川の豊かな自然を楽しみながら過ごしています。そこには、私の過ごした川の風景はありませんが、ここに暮らす人々の心には、今の淀川の姿や淀川で過ごした時が大切な思い出となって心に刻まれるのでしょう。

仕事を通じて、川の浄化や川の自然を守るための様々なイベントや広報を子供向けに企画・実施してきました。しかし、私自身が幼い頃に感動した思いや体験を生かしたいと思っても、川に入り、水に触れ、水と戯れ自然の中で思い切り遊ばせることはできません。危険だから、汚れているからと、川に入ることができないのは、大変悲しい思いでした。

人々の生命や財産を守り、安心して暮らせる街づくりのために、川は整備され、改修されました。一面から見れば、人間のエゴによって変えられた姿です。だからこそ、私たち大人が次世代のために、守っていかなくてはならない、育てていかなくてはならない、川の姿があるのではないのでしょうか。平気でゴミを捨てる大人や、川の大切さを認識していない大人に囲まれて育った子供には、川を大切に守る心が育まれるはずもありません。人間の命の尊さと同じように、自然の命を大切にできる子供達が育って欲しいものです。

藤井順子

自宅で愛犬・愛猫とくつろぐ筆者

ナンバー20

藤井順子(ふじい じゅんこ)
愛知県豊橋市生まれ。昭和59年より、兵庫県在住。
昭和61年より約14年間、さまざまな河川及び砂防の広報・イベントに携わる。平成12年12月に有限会社カナルプランニング設立。

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